風が唸りをあげ、煽られた髪が頬を叩く。快晴だった空にはいつしか灰色の雲が陰りを作り時折太陽を隠した。
眼下にはオレンジ色の電車が行きかい、駅を中心に賑やかな街並みが広がっている。
JR中央線に沿いながら高円寺の病院へと翔けていたクーは額に手をかざし前方を眺める。数百メートル先にダージリンの姿が小さく見える。
なんて速さなのだろう。同時に飛び立ったのにこんなに差がついている。
ダージ・リンは一族の中で特殊な能力を持ち、何をさせても飛びぬけて実力があった。彼はその力を驕ることもなくいつも冷静で人より一歩引いた態度で物腰柔らかだ。
しかし、表情が乏しく人を寄せ付けないような雰囲気がいつもある。
そんな彼が激しく戦闘してわが身も省みず表情険しく自分達をサポートしている。
こんなダージ・リンを見るのは初めてだった。
吹き飛ばされた窓から降り立つと、床に這いつくばっているキメラと介抱にあたっているダークネスが目に入った。書棚が幾つか倒れ、引き裂かれたソファーから綿が漏れ出し重そうなマホガニーの机の下には大介の痛ましい遺体がある。部屋のいたるところに書類や書籍が紙くずとなって舞っていた。
「やっとお迎えだぜ。・・・オレは始末書書くので、先に失礼」
そう言ったダークネスはつま先から床に吸い込まれていくように姿を消した。
ダージ・リンはキメラに歩み寄り、彼女の横に跪くと背中に手を当てる。
「大丈夫ですか?審判したんですね」
俯く彼女の足元には嘔吐物がちらばり、異臭を放っていた。
キメラは肩で息をしながら手の甲で口をぬぐう。
「く、苦しいよ・・・。こんなことって・・。はぁ・・はぁ・・・。す、鈴木さん・・医療ミスとお子さんが亡くなったのを信じられなくて奥さんのお腹を開くだなんて。な、なんてことなの?!」
「さぁ、顔を上げて」
ダージリンは汗と涙などで濡れたキメラの顔を自分の服の裾でぬぐい、肩に彼女の腕をかけた。そして、ゆっくり立ち上がる。
キメラを挟む形でクーも寄り添った。
「院長を審判した時にわかったわ。医療ミスを隠すためにいろいろ手を回していたところを鈴木さんに知られたらしいの。病院側に問い詰めても知らぬ存ぜぬで・・。ココから先は人が決めることだわ。私たちの仕事は終わった。ね、そうでしょ」
「そうですね。・・・それより急いでここを出ましょう。まずいことになる前に」
そう言って軽々とキメラを抱き上げると窓から空へ一気に駆け上がった。その後をクーは追いつつ首をかしげる。
「まずいことって??」
東の空の向こうから双子の怪力男、白髪を携えた小柄な老人、銀髪の20歳前後の青年。そして黒髪のミルク・ティの姿が見えてきた。
東京支部の面々が追いついたのだ。
その時、空の雲間から金色の光がいくつも差しオーロラが四方の空から垂れ下がる。
一気にみんなの表情がこわばった。
『キメラ。貴方は法を破りましたね。我等が愛しみ大切に育ててきたというのに恩を仇で返すとは、私は貴方の存在に初めから異を唱えていたのです』
低くいくつにも木霊する女の声があたりに響き、金色の光に包まれた襲の色目に枯れ野色を主とした唐衣裳姿の女性が雲の合間から現れた。引き越しと衣が異様にゆっくりとゆらめいている。
面長で色白。切れ長の目、小さな赤い唇、黒く艶のある髪は腰よりも長くまるで平安絵巻から抜け出したかのような姿だ。
「ス・・・ストラスアイラ様・・」
彼女こそがこの種の法を司り、ただ1人コマンダという職にあり一階級という階級の頂点に立つ者だった。
ダージ・リンはその姿に臆することもなく逆に反抗的とも思われる視線をなげている。
他の者達はその威厳と存在感に圧倒され身動きすることさえままならなかった。
ストラスアイラの冷たい視線がキメラたちへと向けられた。
『ダージ・リン・・・。誰の許可もなく勝手に手助けし挙句の果てはこの娘に我等が神聖な仕事をさせるとは何事だ。・・一度までならまだしも二度までも!そんなにこの娘が大切か!』
「皆を責めるのはやめて下さい!私が悪いんです!私が独断で勝手に仕事をしたんです。・・・・だから・・・・だから・・処罰は私だけに」
キメラは顔を上げ身を乗り出し懇願する。にわかにストラスアイラの口元に笑みがこぼれた。
『くっ!ククククククっ!!処罰は私だけにだと?!自分が何をしでかしたかわかっていないようだな。この愚か者どもに刑を言い渡す!今後このようなことが起きぬよう厳しい刑を!』
高らかに響く彼女の声に皆固唾を飲む。厳しい法の下で存続を続けられるこの種にとって彼女の法は絶対だった。
ストラスアイラは視線をダージ・リンに向けると、目を細め穏やかな口調で言った。
『ダージ・リン。勝手に持ち場を抜け出し、トラブル解決のため皆を扇動した罪は浅はかで軽率でありジャッジマスターにあるまじきもの!我が種の法をゆるがす危険な行為に他ならない。生涯島から出ることを禁ず』
そして視線はキメラへと移る。その瞳には冷酷な光が宿っていた。彼女はあこめ扇を広げ口元に持っていく。
『キメラ。島を出ただけでは飽き足らず、大人しく言われた仕事をしていたかと思いきや人を裁くとは笑止千万!人の分際で人を裁くとはとんでもないこと。・・・』
「今・・・。なん・・て?!」
キメラは自分の耳を疑った。ストラスアイラの目に笑みが浮かんでいた。
『お前は人間なのだよ。皆黙って自分達と同じように扱っていたようだが』
人間・・・一瞬周りの音も景色も消え暗闇に投げ込まれたような感覚にキメラは陥った。
彼女の肩に誰かが触れた。頭を振るとクーの悲しげな顔がそこにある。
「キメラ・・・」
『さぁ、決めるのです。我等と過ごした記憶を失い人として生きるか。命を絶つか』
ストラスアイラ以外のみなの表情が強張った。
「馬鹿な!!私が生涯謹慎でキメラが死だと?!」
始めに食ってかかったのはダージ・リンだった。声を荒げ顔は怒りで高潮している。
その横からクーは口を挟んだ。彼女の新緑の瞳には涙が溢れいまにも零れ落ちそうになっている。
「そんなのおかしいです!緊急事態だったし、間に合わなかった私たちにも責任があります。・・・・それに小さい頃から一緒に見てきて・・可愛らしい子供から妹みたいになって今では親友でもある彼女に・・・今更死んでくれだなんて。皆温かく見守ってきたんですよ!」
それを皮切りにストラスアイラと東京支部の人たちの間で口論が巻き起こっていた。
・・・嘘だ・・人間だなんて・・・
だってちゃんと仕事できるじゃない・・・・
それに・・姿だって消せるし・・・
・・ねぇ・・誰か・・違うと言って・・・
涙でぼやけた視界に揉めているダージ・リンたちの姿が映る。
その時首元にあった『天使のチョーカー』が指先に当たった。胸が高鳴り足元からざらついた寒気が這い上がる。
・・・・私は・・飛べない・・・?!
島を出してもらえなかった理由がまるで失っていた1ピースをみつけたジグソーパズルが完成するかのように解かれる気がした。
不思議な力を持つダージ・リンの手により彼らと同じように生かされていたとしたら・・・
彼の力を持ってしても空を飛ぶのだけは無理だったとしたら・・・
キメラの脳裏に島での出来事とこっちへ来てからの人との生活がオーバーラップする。
「いやあぁああぁぁぁああ!」
悲鳴をあげると彼女は急降下して眼下の街並みに消えていった。
「キメラ!」
彼らが気づいた時にはその姿はもうなく、空を覆った灰色の雲から冷たい雨が落ち始めていた。
※つづく※